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星空のように

永遠に、だめな男にひっかかる

16歳で家を出た主人公・静子の性春
はっきり言って内容は薄っぺらいありふれた物語ではあるのに著者の体験に基づいた気配が伺える浮き立ちたった世界観に引き込まれて最後まで目が離せなかった。

マンネリになってしまっている
内田春菊の自伝的小説『ファザーファッカー (文春文庫)』の続編。

私は前作を読んで、毎夜の如く義父に暴力を受け犯されながらも、実の母親にも、血を分けた妹にさえ見て見ぬふりをされた主人公の絶望的体験とともに、まさに「THE・鬼畜」ともいえる、義父の底なしの邪悪さに驚嘆した。

本書においても彼は健在。

妾の連れ子にあたる「あたし」の身体はおろか、精神までも支配しようとする義父の巨大な怪物のような独占欲は、恐怖に値する。

「大学出たらはおれの秘書にしてやる。

そしておれの子どもを産ませる」と言ってしまう彼の精神構造は、私の理解できる範ちゅうを軽く超えている。

「あたし」がどんなに必死に、どんなに遠くに逃げても執拗に追いかけてくる彼の姿は、まさにターミネーターさながら。

親子三人で東京に逃げ延びた後に、バイトからの帰りに玄関で義父とばったり会う(母親が呼んだ)という場面なんて、恐怖小説みたいなもんである。

信じては裏切られる、ということを繰り返す内に、次第に男一般に対する幻滅を覚え、絶望を深めていく「あたし」には共感する。

しかし、その義父の支配から逃れてからの「あたし」の生活は、物語上は職を転々とし、男を転々としていてそれなりに展開しているのであるが、いかんせんその語りが単調すぎて、どうも面白くはなかった。

愚かな男やバカな女が一杯登場して来て、「あたし」を苦しめるのであるが、義父の印象を超えるやつはいない。

そりゃそうだ、あんな義父以上の狂った人間、そう日本にはいやしない。

最後の方は「不幸大安売り」みたいな感じになってきて、それほど衝撃的でもなくなってくる。

もちろんそれらは実を元にはしているんだろうけれども。

やはり義父のインパクトが強すぎたのである。

エロスと暴力は紙一重
内田春菊さんの「あたしが海に還るまで」を読んだ。

ショックだった。

雷にうたれたような痛みだった。

女は公衆便所、といわれているみたいで、静子に幸せなセックスをしてほしいと思う。

幸せな、恋人をみつけてほしい。

幸せになりたい、と願うのは、当然の野望でしょう?今度こそ、今度こそ、そう思って、結局ひとりでいきていけばいいじゃない、などと考えても、一人では生きられないのが人間でしょう。

それなのに、静子はいつも父親と、母親に縛られる。

父と母の構造。

もう大人になっているのだから、逃げられるはずの脚本から静子は逃げられない。

永遠に、だめな男にひっかかる。

彼女にとってセックスは手段。

自分が生きているための手段、お金という意味ではなく、多分に自虐的な意味でのエロスが存在する。

暴力とエロスは紙一重。

あたしが海に還るまで (文春文庫)内田春菊

ティファニー
by yukaning1 | 2010-10-03 17:28 | 読書