星空のように

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甘いが故に醜悪さが際立ってしまう

初めて読む小池真理子が本作でよかった
1970年頃。それまでピークであった全共闘運動が敗北で終息し、多くの学生が日常に戻ろうとしていたが、一部のセクトは急速に過激化していく。世の中の流れが大きくうねっていた混乱の時代だった。主人公の松本沙織は学生運動が盛んだった同時代、仙台の高校生であった。興味本位でセクトの集会に顔を出していた。大学進学のため上京してすぐ、革命インター解放戦線を主催する大場修造と出会い、魅せられるままに過激左翼集団に加わってしまう。爆弾闘争こそ革命をもたらすと理念を掲げ、山奥の小屋で爆弾制作、訓練に励むことが日常となった。しかし、と言うべきか。やはり、と言うべきか。ある日、革インターの中で連合赤軍の山岳ベースリンチ事件を思わせるリンチ殺人が起こる。その事件をきっかけに、沙織は革インターからの逃走を決意する。手持ちは350円ぽっち。生死を賭けた追いかけっこ。やっとの思いで辿り着いた唯一無二の親友の自宅には、1週間分ほどの新聞がポストにねじ込まれていた。望みを絶たれた沙織は餓えと疲労で公園に行き倒れる。死人のごとく横たわる沙織を拾ったのは、秋津吾郎。年下の大学生だった。吾郎の箱庭のような部屋で青い翅のモルフォに囲まれ、沙織は徐々に人形になっていく。口をあければ食べ物が入れられ、泣いて喚けば我が儘が聞き入れられる。外界の闘争から遮断され、ラジオからは音楽だけが流れていた。甘美でもなく、色も乏しい部屋。迫る革インターの刺客。でもこの部屋では、秋津吾郎しか知らない。私の存在。赤軍派のよど号ハイジャックから、連合赤軍事件。声高に革命が叫ばれていた時代。若い力で国を作るという使命感、夢、感染。むしろ暴力革命が流行であった。本書は恋愛小説であるはずだ。しかし、フィクションの如く時代の空気を細かく描写している。現実とよくリンクするのだ。恋愛小説というにはあまりに、背景が硬く濃いものである。

何となく物足りなかったです!
小池真理子さんが得意とする全共闘運動が盛んだった1970年を背景に書かれた長編小説

学生運動とは全く縁がなかった自分なので最初の方は理解に苦しんだけれど、
途中アジトから逃亡した辺りからぐいぐい話に引き込まれて行った。

数十年後に再会した松本沙織と秋津吾郎、今後のこの2人の展開が気になる…

誰に向けて書かれたのか
 この小説を読んで、私が感じる空々しさは、主人公にはいくらでもまっとうな生き方をするチャンスがあり、それをあえて拒否するのは単なる無知と愚かしさ以外に理由が考えられないことだ。よしんば、テロ組織に身を投じるところまではよしとしても、そこから逃げ出した後、例え金がなくても、交番に飛び込むぐらいの考えはなかったのか。事ここに及んで、命を絶つ気概もないのに、両親には知られたくないという言う中学生ぐらいの思慮しかない人間が学生に軟禁される経緯を読んでしまうと、数年前にあった10数年にわたる幼女の軟禁事件の方を思い出してしまって、物語の趣旨からは全く離れた印象を持ってしまった。
 この物語で重要な点は、軟禁生活の中での男女関係が、ある種の選民意識を持ったような知識人階級の良識、常識、概念をことごとく打ち砕き、その上に安息という真実を垣間見させることだ。つまり確固たる概念(社会的概念)の崩壊である。ここが描けないと、あり得ない話として読者の心は掴まない。そのためにはせめて最低限度のリアリティーはほしい。単なる猟奇犯罪を描きたかったわけではないだろう。
 この物語の出典である『愛の嵐』という映画は、背景にナチスのユダヤ人収容があり、そこでナチスの将校に狂気を強要されるユダヤ人少女が描かれる。しかし少女が大人になったとき、彼女は予想には反する結論を見いだす。だが少女はその時代、収容所から逃げることもできないし、少女であった故に、そこでの経験が、後の生活を支配したと解釈できる。そこには年代を経ても納得できるリアリティーがある。
 さらに、この映画は男性の側から描かれている。それによって、一見支配したかに見えていた男性が、実は女性によって支配されていた事もわかり、そのことが、安息の意味をより深く表現する。それから、物語の最後には飢餓があるが、これも重要なポイントだ。表に出ようと思えば出られる状況では、この話は成立しない。絶対に出られない、しかし食べるものもなくて獣のように一個のジャムを取り合うような状況になってこそ、この話は成立する。
 という意味でも、この小説は甘すぎる。甘いが故に醜悪さが際立ってしまう。
 現在なら、さしずめ新興宗教に入ってしまった愚かな娘が、そこから逃げ出して、引きこもりフリーター青年に軟禁される話だろうか。こう書けば、これがいかに陳腐な話かわかるだろう。この陳腐さから、人間の根源をひっくり返すような関係性の構築に話を持っていくのは、かなり大変だろうが、それでも、今更学生運動のなれの果ての時代を持ってきた意味がわからない。矛先を変えれば、読者の目がごまかせると思ったのか。それとも作者が何か勘違いしているのか。この小説を読んだだけでは、新興宗教云々以上に陳腐な舞台設定に見えてしまう。
 まじめに言えば、介護問題などの方がもっと良い切り口になるだろう。介護は、その苦境の中で、世間から隔絶された世界に安息を見いだせるか否かがその成否を分けている。しかしその安息が確立したと同時に、それは乖離という言葉で、世間からの束縛を受けてしまう。この問題なら、誰もが直面し、そしてリアルだ。しかし描かれていることは同じである。


望みは何と訊かれたら
小池 真理子

TUMI バッグ
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by yukaning1 | 2010-10-08 20:56 | 読書

戦前の中国の描写はとても上手

どこに行っても“自分”はついてくる
自分を変えたくて、すべてを捨て去って逃げても、絶対についてくるもの、それは自分。
自分を一度壊して、ボロボロになってからもう一度自分を作るしかない。
主人公の有子のように追い詰められた経験は、女性なら誰でもあるはずだ。

自分自身が不等号で計られるのは耐えられないが、自分自身だって他人をそういう見方をしていないとも限らない。だから他人を不等号で見る側に自分が回る…そういう発想は世の中にあふれているけど、それを続けたらスーパーフリーみたいになってしまうんじゃないの?と思った。
どこまで逃げてもついてくる過去の自分=忘れられない出来事、という描写が、PTSDに通ずるような気もした。

一度死を決意したものの、その後も生き続ける質に静かに心を動かされた。
有子にもいつかは、質のような静かな強さが宿ってほしい。
ボロボロになったことのあるすべての人に読んでほしいです。

玉蘭は白木蓮。会いたくて会いたくて?
最初のページを読み始めたとたんに物語に引き込まれていました。
上海のシーンなんてホントに自分がそこにいて呼吸してる気分になるぐらい。
男性と女性の恋愛に対する考え方の違いの描き方がいいですね。
現代の有子と松村、1920年代の質と浪子
二組の男女が織りなす人間模様が重なりあい「嘘」と共に絡み合う。
『果てに来てしまったと思ったら、どんどん知らない場所に行けばいいんだよ。
それが最果ての最前線になるだろうさ。船乗りは皆、そう思う』
物語の初めで有子に対し大伯父の質が現れて語る台詞
このお話も読んでいるそのページが最果ての最前線。
2つの恋がどう重なってくるのか
読者はその最果ての最前線でドキドキする構成になっています。
いい作品ですが読後感がちょっとね。。。
ってことで★は3つ
これも男女の感じ方の違いなのかしらん

桐野作品の外れ、人物描写が弱い、肉親を描いたせいか?
面白くなかった。理由は三つ。主人公への感情移入が出来ない。桐野作品の主人公は皆心の中に毒を持った悪い人だが、どこか徹底しているために、読者の心の闇と共鳴しはじめ、いつのまにか感情移入して読者は読んでいるが、本篇の登場人物は、どこにでもいそうな人物ばかりで、退屈。従って、感情移入が出来ない。二つ目は、誰が主人公かはっきりしない。最終的には、著者の大叔父がモデルであった質とわかるが、記述の量、質とも少なく、影も薄い。三つ。女主人公が最後に売春婦になるのだが、どうしてそうなったのか、良く分からない。グロテスクとどうしても比較してしまうから、何故?と理由を知りたくなる。しかし、彼女は実は狂言回し役であって、主人公ではないから、そこまで書かなかったのだろうか。

戦前の中国の描写はとても上手いと思うが、いまひとつな感じ。

玉蘭 (文春文庫)
桐野 夏生
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by yukaning1 | 2010-10-06 23:39 | 読書

心がじんわり温かくなる、いとおしい作品

大人の童話か、夢の備忘録か
 9篇の短編の主人公は共通と思われます。童話といっても、現代人である主人公は、毎日会社に行って、決算期には残業したりします。

 一読すると、原石の小さなかけらが、ポイッと目の前に投げ出されたような感じがします。後は読者が磨いてね、ということでしょうか。
 神について語る昔気質の熊、性生活のトラブルを抱えた河童のカップル、壺の中に生息するギャル風女性、さらには人魚などという荒唐無稽なものを登場させますが、語り口は淡々としています。
 個々の話に、何らかの寓意のようなものも感じ取れます。例えば「離さない」では、モノや環境への依存性からの脱却でしょうか。著者の自戒のようにも思えます。

 癒しを求める現代人へのアロマテラピー、みたいなものでしょうか。

いとおしい作品です
心がじんわり温かくなる、いとおしい作品です。
いとおしくてせつなくて、つい涙がでてしまう。クマがしたためるお手紙の最後の描写にいつも涙がこぼれてしまいます。
何かを忘れてしまいそうな時、本当にこの描写と同じだなあと思います。


"熊さん(神様)"と散歩気分にさせてくれる短編集
作者の処女作「神様」を含む夢と"うつつ"が交差する世界を描いた不思議な短編集。作者の子供からの夢や空想が反映された内容とも思えるし、現実の悩みを夢に逃避した形で描いたものとも思える。

各編には、熊、梨喰い虫、叔父の幽霊、河童、魔法のランプ中の女霊、人魚などが人間と区別無く登場する。言動も普通だが、何処となく可笑しい。"熊さんと散歩(「神様」)"なんて童謡のようだ。叔父の幽霊が出て来る「花野」は彼岸の事だろう。彼岸での霊界人と人間との噛み合わない会話が物悲しいと共に"なんとなく"可笑しい。特に「河童玉」は大いに笑えた。河童の悩みも可笑しいが、ウテナさんの反応も可笑しい。そのウテナさんは次編の「クリスマス」にも再登場する。河童玉によって失恋から立ち直ったウテナさんが置いていった壷はアラジンの魔法のランプ(風)。壷から出てくるのは魔人ならぬ、痴情のモツレで死んだ若い(?)女性スミコ。何処から、こうした発想が出てくるのだろう。でもスミコの怨念や日常感覚は少しズレていて、楽しい一編になっている。「星の光は昔の光」は父親が浮気をしている家庭の男の子から、大人の世界を覗いたものだが、メルヘンティックに仕上がっている。でも、チョット切ない。「春立つ」は民俗学味の濃い大人の童話。「離さない」は捕獲した人魚に魅了された男女二人を描いたものだが、奇妙な味なのか悪夢譚なのか読む方も煙に巻かれた様。「草上の昼食」で再び"熊さんと散歩"。

"熊さん"は「神様」なのだ。あるいは、他の登場人物(?)達も。読む者の心を透明にし、夢の世界に浸してくれるメルヘンティックな短編集。

神様 (中公文庫)
川上 弘美

ファー
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by yukaning1 | 2010-10-05 19:24 | 読書

頭で読み、本能で感じ、肉体に味あわせる力作

純粋に小説として楽しんだ
作家・林芙美子の第二次世界大戦中の体験を描いた作品。

舞台は昭和18年でまだ日本が戦争に勝っていた時期であるが、主人公の芙美子を始めとする数人の女性作家は、軍の依頼によりシンガポール・インドネシアといった東南アジアの占領地域を訪問することになる。芙美子は行きの船中における船員との行きずりの愛欲や、現地で再会した数年来の愛人の新聞記者・鈴木謙太郎との交情を重ねていく。

恥ずかしながら林芙美子が放浪記の作者ということも今回知ったぐらい、どのような作家であるか予備知識が全くなかったので、40を超えても女として生きる女性作家を描いたフィクションとして読んだが、小説として純粋に楽しめた。メインテーマではないが、言論を統制するこの時代の嫌らしい息の詰まるような状況もよく描かれており、言論の自由のありがたさも久し振りに感じた。


林芙美子に憑依する桐野夏生の妖しい魅力
「IN」における島尾敏雄「死の刺」の文体模写を凄いと思ったが、今回は林芙美子になりきってしまった!桐野夏生、凄すぎる。林芙美子の隠されていた私的な記録、という形で、林芙美子の作品としてのフィクションを書くという発想も、それを書く勇気も、他の作家にはないものだろう。
「IN」でも感じたが、桐野氏にとって小説とは、純粋な芸術作品でありながら、編集者と共同でつくりあげるものだ。プロの女流作家ならではの意識で、飾りのない真実だと思う。だからこそ、裏切られた時の苦しみは、女として作家としての全てを全否定された、地獄の苦しみとなる。今回の作品では戦時下の作家活動という深刻なテーマも絡み、描かれるのは、まさに血を吐くような命がけの恋愛であり、創作なのだが、対する男のほうは、それだけの覚悟があったのだろうか。編集者に見放される芙美子の凄絶な苦しみが作者の痛みと重なって、熱く揺さぶられた。と同時に、他の女流作家をともすれば「甘い」と思ってしまう芙美子の作家としての強さ、したたかさも、桐野氏本人に通じる魅力だ。
 綿密に調べ上げた史実や、風俗の柱をきっちりと構築した上で、自在に羽ばたく創造力、芙美子に憑依する作者の語りの強度に圧倒させられ、一気に読んだ。
 終わりのほうで、編集者・謙太郎とばったり会う場面にはっとさせられた。この、何気ない場面が書かれたことで、あれだけ激しい恋愛の末、子どもまで身ごもったのに、ひとりで産み、育て、小説を書き、死んでゆく芙美子の姿に、女の怖さをまざまざと見たからだ。きっちりと閉じられる物語が、フィクションとは思えず、鳥肌の立つような思いで読み終えた。

頭で読み、本能で感じ、肉体に味あわせる力作
実在の作家の幻の作品か?という設定がどれだけ魅惑的でしかしチャレンジングなものであるか、文学を志す者や小説を愛する者には分かってもらえると思う。私の5つの★の一つは先ずこの点にであり、逆にこの点や林芙美子や作品の描かれた時代背景に興味や知識のない方なら、絶対につけない★とも言える。
私自身、作者が林芙美子の文章を書ききるための労苦やその成果を十二分に受け止める素養があるわけではないが、平たく言えば「昭和の前半の桐野夏生の過激版」が描く世界と勝手に解釈して、本作に一気にのめり込んでいった。
この作品が作者の過去のテーマや内容に似ているとの評は表面的に過ぎる。作者は、己に通底する「ナニカアル」を芙美子に感じたからこそ、この作品を描き切ったと解する方が、この作品を素直に深く味わえるだろう。つまり、冒頭のような頭で読むアプローチが出来ずとも、他の桐野ワールド同様に、本能で感じ、肉体に味あわせることで、改めて頭の中に読むべきナニカが現れるはずだから。
とにかく読み切った後に己の中のナニカアルが感じられたなら、虚実の狭間にこそ本当のナニカがアルであろう本作の、実在の人物や史実を調べていって欲しい。そこにないものに、芙美子は、そして、作者は何を感じたのか?
実に味わいの深い作品だと思う。一読して★を5つにするのではなく、★が5つになるまで読み重ねる作品ということ。

ナニカアル
桐野 夏生

シャネル バッグ
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by yukaning1 | 2010-10-04 23:47 | 読書

結末は拍子抜け

壮大なるプロローグ
レースの流れは詳しく取材もされてるみたいで問題はありませんが主人公たるチカの人間くささはさっぱり表現出来ていないと感じましたまるでサイボーグみたい「誰が彼の止まってしまった心の時間を動かせるのか」「石尾豪から託された物をどのように昇華してゆくのか」という所をエデンでは表現してない所で これは次に繋がるプロローグと思ったしだいです

サクリファイスの呪縛
 「エデン」の前作である「サクリファイス」に魅了され、文庫になるのを我慢できず、
ハードカバーで購入しました。「サクリファイス」同様、いい意味でも悪い意味でも日本人らしい
白石さんに感情移入でき、本作品も本当に楽しませていただきました。自分の勝利を捨ててまで、
エースのために力のすべてを注ぐ白石さんに感動したのは自分だけではないと思います。

 評価ですが、スポーツ青春の視点から語ると前作同様面白かったですが、ミステリー小説としては
言い方が悪いかもしれませんが、結末は拍子抜けだったため星3つ評価とさせていただきました。
前作のように、自分の予想を超え二転三転するような結末はなく、ありきたりな結末に落ち着いたのが、
残念でした。

秀逸(自転車小説として)
ミステリとして読むには、前作と比較してもやや力不足。

ただし、全編を通して描かれる"グラン・ツール"ツール・ド・フランスでのレースの駆け引きは秀逸。
ロードレースの魅力というか、奥深さをよく描けていると思うし、チカの「アシスト」としての役割なり、
彼の心意気みたいなものがよく伝わってくる。

彼の心意気が、このグラン・ツールをして「楽園」と言わしめているのかもしれないし、
前作から通じるポイントなのだと思う。

エデン
近藤 史恵

サマンサタバサ バッグ
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by yukaning1 | 2010-10-04 14:12 | 日記